
「番組内容が事実と異なる」と問題になったこともありましたが、何はともあれ、多くの人に感動を与えた番組だったのではないでしょうか?
最終回は二部に分かれていましたが、一部のほうをしっかり見ました。私はもらい泣きの涙、涙で(^^ゞ、普段泣かない夫でさえ、こっそり涙を拭っていたんですよ。キャスターの国井雅比古さんも、目がうるみ、言葉に詰まっていました。
記憶に残ったものを挙げてみると……。
◆第3回放送:難工事続きだった青函トンネルの掘削。強風吹きすさぶ厳寒の地、竜飛崎で、不便な生活を忍びながら工事に従事した方たち。トロッコに挟まれるなどして亡くなった方々。工事責任者だった方は、亡くなった人たちの無念を思い、トンネル貫通の際には何人もの遺影を抱いて北海道まで渡りました。
◆第30回放送:ある高校教師は、京都一のワルで有名だった生徒を始め、不良ばかりでやる気のないラグビー部員に対して、親身になって本気でぶつかっていき、やる気を起こさせ、部を優勝に導く。中でも、最強のワルだった生徒はその後、大学へ進み、落ちこぼれた生徒の指導ができる教師になった。
◆第40、41回放送:昭和30年、南極観測のために駆り出された若者たち。一人の若者は宿舎で火事を出し、大切な機器まで駄目にしてしまった。当然厳しい叱責を受けると思っていたのに、上司は叱るどころか「おまえを手ぶらで帰すわけにはいかないなあ」と言い、使えなくなった機器の代わりの物を手作りして与えてくれた。
スタジオに登場した、かつての若者は号泣していました。
◆第42回放送:電気釜つまり自動炊飯器の開発のため、ある町工場の妻は3年の間、過労で倒れながら炊飯実験を繰り返した。気候のいい時季にはきちんと炊けるのに、寒い時季には生煮えになってしまう電気釜。どんな条件でも炊けるようにするにはどうしたらよいのか、毎日毎日お米を炊き続けて夫に協力し続けた。
自動で、お米が失敗なく炊けるのは、ありがたいことです。
◆第53回放送:ホテルニュージャパンの大火災。高層階から多くの人々を命がけで救出した消防士たち。火の回りが異常に早い火災現場で、ある人を抱えながら助け出すと、その人は振り返って、まだ残っている人を指さした。そこにいたのは体格のいい男性。でも火勢は強く、消防士の命も危うい状況。見殺しにはできない…。が、隊員たちのうち誰が救出に向かうのか? 消防隊長は、自分こそ向かうべきではないかと決断する。重い男性を抱えて現場を離れた瞬間、爆風が吹き出す。
◆第1回放送:富士山頂で、高山病に苦しみながら気象観測所を作り上げた人々。
他人の命を救うために自分の命さえかける人々、誰かを危険な状況に追いやるよりも自ら範を示す人々、知らない誰かの利便のために身を粉にして努力する人々、図らずも文字通り身を挺してしまう人々、他人を心から気遣い信頼を寄せ期待をする人々…。
本当に貴い人々です。私たちがいま便利に暮らせるのも、こうした無名の、地上の星のような人たちのお陰であることを忘れてはならないですよね。